mimasantanのブログ

mimasantanの徒然日記

・ 昨今、子供より大人の方がワガママと感じたりします。

 保育所待機児童の問題を受け。

 家族の形自体、同性のカップルや友人同士の共同生活等、従来の男女1対1基本の形から変化する傾向にあり様々な家庭の事情があるなか、現在の日本社会の子育て支援方法がついていけていない結果、無駄な出費と労力を掛け過ぎているように感じます。 

 現在の日本社会の現状をよく捉えたうえで、より良い子育てを出来るよう子育て支援システムを根本的に変えて欲しいです。

 例えば、家庭に子供がいる場合、保育所を増やす前に家庭で保護者が子育てできるよう各家庭に対し世帯収入に応じて直接補助を出す。同時に仕事も、家で出来るようにしたり、子育てを終えてから復帰出来るよう、またブランクがあったり高齢でも活躍できる仕事を作り出すのはどうでしょうか。

 その上で、シングルで子育てしていたり、保護者が病気などで子育て支援が必要な家庭のみ、国で補助を出し運営する保育所を安価で利用出来るようにしてはどうでしょうか。

 また、金銭的にゆとりがあるが大人全員仕事を続けたくて子育て支援を受けたい家庭には、国から補助を出さず、働く職場の方で子育て手当を出したり社内保育所を設けるなど対応すればいかがでしょうか。

 そういった流れもあるかも知れませんが、少なくとも地方では変化の実感はありません。

 社会を担っていく子供を育てる重要性を言うなら、大人がワガママを言わず子育ての大切さを再認識し、社会全体の根本的な解決を願います。

 足りない分どんどん保育所を増やし、今後必要なくなったら減らすのでは、そこで働く方々が失業するうえ保育所を増やすための経費と労力が無駄になってしまいます。

 長い目で社会全体で協力し合い、家庭を守る意識を高めて欲しい。

 AIが活躍する社会になるのなら、人件費が浮いた分で社会にゆとりの還元があると良いですが、物価や労働環境が良く変化しなければ、AIは人間から職を奪うだけの社会の敵ともなりうる。今後AIを活用する人間の、企業の倫理感が問われて行くべきと思います。

 どんなに時代が変わろうと、大人目線だけでなく子供の心を汲む、家庭と人間性を大切にする社会であって欲しいです。 

・ 家庭と医療の2本足で癌に立ち向かう。

 今日のあさイチ、最初の特集は ”がん検診”。

 自分も数年前は癌の疑いで3年間地獄の苦しみを味わいました。結局癌ではなく良性の腫瘍でしたが、たまたま腫瘍が発見されてから良性悪性の見極めに3年かかり、その間の精神的負担は相当のものでした。

 検査結果・生きるか死ぬかは神のみぞ知る。そんな中大きな心の支えになったものは家族のサポートです。

 医療はもちろん必要不可欠ですが、検査治療を受けつつ生活を続けるにはやはり家族の存在は大切です。

 2度の手術を受け、検査を続けた3年間。何もかも百パーセントと言い切れない中で、私にとって家族との生活だけが確かなものでした。

 経済成長・科学の進歩も大事ですが、人間は人間に向き合うことで生を繋いで行く。それはどんな人でも生まれながら持っている権利のはず。

 医療の進歩と共に、家庭を大切にする世の中であり続けて欲しいです。

 

・ 家庭訪問で本当にお話したいこと。

 春休みのバタバタから解放され、久しぶりのブログです。

 やっと春らしい暖かさ、と思ったらゴールデンウイークまであと僅か。

 そして小中学校は家庭訪問シーズン。毎年どの様に先生をお迎えするか悩みます。

 そして何をお話しようかと考えますが、本当に言いたいことはナカナカ言えないものです。

 一番子供の事で気になる事。それは子供の安全です。

 共働きが増え、様々な事件も増える昨今。

 学校行事やPTA活動の内容や予算を見直しスクールバスでの送迎にしてほしい。子供には必ず保護者が同伴する事を義務付ける等、子供の安全を守る事を今一度本気で考え直し、速やかに実行して欲しい。

 大人に守られることで子供は自分の身を守る事を学ぶ。自立も生きていてこそ。

 そんな事を思いつつ、一人の声では力が足りないのかななどと思い、結局今年も無難なお話でお茶を濁す、そんな家庭訪問になりそうです。

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・ 宇宙と人の一生

 子供の頃、1日がとても長く感じていました。

 

 小石一つあるだけで、葉っぱ一枚見ているだけで、ちょっとした時間でも心の中に想像の世界が果てしなく広がっていました。

 

 大人になると、毎日あっという間に過ぎていく。

 

 ほっと一息、外を眺め緑を見て、空を見て、楽しい想像を巡らし始めても、途中でモヤがかかって子供の頃のように伸び伸びとイメージが広がらないと感じます。

 

 老化なのか、集中力の低下なのか。

 

 宇宙の始まり、ビッグバン。無の空間が長い間圧縮され、ある日突然大爆発がおこり原子や陽子、中性子と今ある物質の元となる物があっという間に作り出されたそうです。

 

 子供も、大人から見れば無意味に思える時間や行動の中で、何かすごいものを自分の中に圧縮しているのかもしれません。そして、ある日ビックバンが起き、何かしら実を結び、その子の人生の軸みたいなものが出来ていくのかもしれません。

 

 今の子供達は何かと忙しそうで、もう少し自由な時間があれば良いのにと思います。

 

 でも意外に子供達は、ちょっとした時間のあいだ、心の中で果てしない想像の世界に遊んでいるものなのかもしれません。

 

 いくら自由な時間が沢山あっても、想像する心がないと満たされない時間ばかり過ぎてしまう。

 

 今、自分は子供の頃とは違った楽しみ方が出来るワクワク感を感じています。

 でも子供の頃のような、あの濃縮された豊かな時間というのは、もう体験出来ないのかなと思ったりもします。

 

 子供の頃しか体験出来ない事がありそうです。

 

 計画的に、効率よくと大人は子供に接してしまいがちですが、せめて想像する心の自由を奪わないこと、小言を言いすぎて、やる気を奪わないこと。

 

 子供の中にビックバンがおこるまで、どうか親として自爆してしまわないように。

 子育ては精神的にも修行のような毎日ですが、日々上手く感情のコントロールが出来るようにしていきたいなと思いました。 

・ 3.11だけの問題じゃないと考えると見えてきたもの。

 ダンテ「神曲」の一節。 

 「地獄の最も暗きところは、倫理の危機にあっても中立を標榜する者たちのために用意されている」

                    ダン・ブラウン氏「インフェルノ」引用

  

 心の問題は、忘れることで救われることもあります。

 後世に残さなければならない、忘れてはならない事実もあります。

 

 3・11。あの日から6年。

   

 原発事故による風評被害等で、仕事を再開出来ない農家さんも多いようです。

 そもそも災害大国のうえ原発も稼働している国で、いかに国民の食の安全を守るのかといった議論が十分になされて来なかったことに疑問を感じます。

 

 人災天災問わず、状況により国産の食材が手に入らなければ外国に頼るような考えであれば、国として国民に対して、また生産者・消費者どちらに対してもあまりにも無責任なのでは。

 

 原発事故に限らず、ただでさえ天候や原油価格高騰など経済のバランスに左右される不安定で、それでいて人命にも直結する、なくてはならないお仕事に対し。

 そんな大事な産業と、それを支える方々の生活を、普段から(災害時含め)国全体で支える仕組みを作るべきでは。

 

 資本主義社会とはいえ、日本の食を支える産業は言わば公務に近いと思います。

 人災天災リスクを想定し(想定外は想定内です)、対策を前もって国が具体的に決めておくべきです。

 

 過去に学び、未来に備える。

 戦争・災害など、人間は長い歴史の中で同じ過ちを何度も繰り返してきました。

 

 忘れない努力が足りなかったせいでしょうか。

 それとも根本的に足りなかった何かのせいでしょうか。

 

 忘れたいこと。

 忘れてはいけないこと。 

 忘れるのは恥ではない。

 問題解決を先延ばしし、見て見ぬふりをすることを恥じるべき。

 

 普段は忘れていても、有事に即行動し対処できるマニュアルづくりを。 

 

 食の問題は国防の問題でもあります。

 国民の代表者がいて税金を集めていながら、そのような大事な問題の解決をボランティア・募金頼みにしていることに大きな矛盾を感じます。 

 

 責任ある立場の方々が精一杯リーダーシップをとり、100年限定プランではなく長い目で未来を見据えたプラン・マニュアルづくりを。

 

 中央と地方の横糸と、過去と未来の縦糸がしっかり組み合うことで、国という強固な一枚布が織りあげられるように。

 自分だけ、今だけ良ければ良いといった考えが、その織り目を緩めてしまわないように。

 

 傷ついた方々は毎日精一杯の生活。

 被災者以外も毎日精一杯の生活。 

 

 ・被災者は、まずは傷を癒し、自分たちの生活を立て直していく事に集中できるように。

 

 ・その他の国民も、まずは自分の生活を。そのうえで被災地に目を向ける。手を差し伸べる。大事なのは普段から常に政治に関心を持ち続けること。

 

 ・公務員、議員は自分の仕事をしっかりやる。民意を国政に反映させるために国民が払う税金からお給料をもらい、税金を使い仕事をしているのでは。

 

 自分の役割にそれぞれ責任をもつ。

 責任の押しつけ合いをしていると責任の所在がうやむやになり、問題の根本的な解決がなされないまま負のサイクルが続いてしまう。その狭間で苦しむのは罪のない弱い立場の人達です。

 

 1人では出来ないことをチームワークで乗り越える。

  

 自分だけ上に必死で這い上がり助かったと足元を見たら、下の世界が天国だったなんてこともあるかも知れませんね。

 

 

 

・ 字幕付きで分かりやすい国会中継をぜひ。

 昨夜、テレビでオペラ「カルメン」をみました。

 字幕付きで内容が良く分かり、「面白い!今まで自分がもっていたイメージと違う!」 と良い意味でビックリし、もっとオペラをみたいと思いました。

 子供も「へー」って感じでチラチラ見てました。

 

 国会中継もぜひ字幕・注釈つきで放送して頂けたらなと思います。

 

 例えば ”EEZ” と発言があれば、EEZ排他的経済水域・〇〇という意味)と字幕に出て地図なども一緒に表示されれば、横文字が苦手な方も理解しやすいし、子供にも良い勉強になると思います。

 

 ニュースとはまた違った、人となりが感じられる国会中継

 

 自分たちの代表がどのような考えを持っているのかを感じ取ること。

 それに対し自分は賛成か。反対か。それはなぜか。代替案はあるのか。

 学校でも、討論・プレゼンテーション能力を高める授業の前に、その土台となるものを心の中に育てるため。

 また、しっかり理解しながら国会中継をみることが出来れば、選挙に行きたい気持ちも自然に高まるのではないか。

 

 せめて子供達には国会中継を見る時間を確保してほしい。 

 

・ 夏の終わりの秋風みたいな気分

  子供の水泳教室にて思う事。

 「いつも頑張ってるな」と思いながら見ていると、

 「よし!私も頑張ろう!」と気持ちが前向きになります。

 子供の生き生きした表情に心を動かされます。

 同時に「自分はもう年だな」と感じることも。

 でも、決して人生を諦めたとか、あとは下り坂だとかそういった後ろ向きなものではなく、世代交代というか、バトンを渡して軽く助走で終わるような心地よさを感じています。

 理想は、子供が自立していくと正比例に、自分は修行僧のように静かに淡々と毎日を過ごすようになること。

 当分は、そんな日は遥か彼方といった毎日が続きそうです。

 

 PS

 三月になっても寒いですね。私もショウガをお守りのように毎日頂いています。

 ショウガを使いやすい大きさに切ったものを、ジャムの空き瓶などに水と一緒に入れて冷蔵庫で保存すると長持ちで使いやすいです。水は毎日かえますが、自分は毎朝ショウガ紅茶を飲むので、使ったついでに水を入れ替えたりしています。

 ぜひお試しあれ***