mimasantanのブログ

mimasantanの徒然日記

・ 長い旅の末、行きつきたいところとは。

 近い未来、今ある職業の何パーセントかは無くなっている。

 技術革新で人間と機械の関係を考えさせられる昨今。

 どんな職業が残り、どんな職業が消えていくのか。

 

 人は働くことを通し、自分はどのような人間かを知り、どのような生き方が幸せかを見つけ人生を作り上げていくとすれば、技術革新で人が仕事を奪われていくことは自分の幸せを見つける機会を失うことに繋がっていくのでは。

 

 毎日もう少し楽に暮らせたらな。

 

 何もすることがなく、何も考えず、楽をして、知らず知らず誰かの誘導に乗せられながら僅かなおこぼれを得ながら生きることは幸せなことなのか。

 

 クスリやめますか。それとも人間やめますか。

 

 楽も度が過ぎれば麻薬のように人間をむしばみ、やがては自分が何者であるかも忘れ、ただただ生きる存在になる。

 

 銀河鉄道スリーナインの主人公は長い旅の末、巨大な機械のネジの一つとして組み込まれてしまいます。主人公は嫌がりますが、それがあなたの望んでいたことだと言われるようなラストシーンがありました。

 

 人間性を技術革新と両立させることを一人一人が強く意識し続けなければ。

 もっと人の心を動かす仕事を。

 大人として、一人の親として、自由と希望を子供達の未来へ引き継ぐために出来ることを考えていきたいと思います。 

・ プログラミングの学習?

 ドリルは三回やろう。

 朝食を必ず食べよう。

 読書をしよう。

 運動しよう。

 お友達と遊ぼう。

 休み時間は外で遊ぼう。

 早寝早起きしよう。

 家庭でのコミュニケーションを大切にしよう。

 地域と積極的に関りを持とう。

 挨拶をしよう。

 個性を尊重しよう。

 自主学習をしよう。

 自ら行動しよう。

 勉強は基礎力を身につけよう。

 勉強は応用力を身につけよう。

 プレゼンテーション能力をアップしよう。

 話し合いでアイディアを出そう。

 グローバル化に向け英語が出来るようにしよう。

 ボランティアをしよう。

 etc…。

 

 確かに全て子供の教育上良いことだとは思います。

 

 しかし、良い事であっても気持ちがこもらない行動は誰にとっても苦痛です。

 

 息つく暇もなく大量の教育おすすめプランを消化し続け、やがて苦も無く行動出来きるようになる頃には、心が失われ、ロボットのようになり、誰かのプログラムに沿って動く人間が出来上がる。

 今、進めようとされているプログラミング学習とは、こちらの意味なのかと思ってしまいます。

 

 自分は何をしたいのか。

 自分は社会の中でどのように居場所を作って行きたいのか。

 自分はどのような形で社会に受け入れられて行きたいのか。

 

 大人からは一見無駄に見える行動の積み重ねで、子供は自分を知り、自分を生かす道を見出していきます。そして、その子のタイミングで目覚めた時、時間を超え、身のある知識を習得することが出来ます。

 

 子供の内面を伸ばす時間を奪う事は、子供の将来を奪う事、それは国にとっても大きな損失につながるでしょう。

 資源の少ない国にとって、人の能力は国防にも繋がる貴重な資源ともいえます。 

 

 気持ちがあってこそ人間は無限の能力を発揮する。 

 

 子供達の未来、国の未来、皆の未来のために。

  

 過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 近視眼的な一律押しつけ型教育で、子供達の心の火を消さないように。

 

 AI先生の登場で、教師の存在意義が問われる昨今。

 人が出来る事とは。

 自然の循環の中で、自然に湧き上がる心の声に耳を傾けてあげる事。

 人が人らしくいられるために、本当の意味で、ゆとりのある生活を。

 

 もうすぐ学校は春休みです。

 今年こそは、宿題終わった?抜きで、花でも見に子供とふらっと出かけてみたいなと思います。

 

・ 人それぞれの社会貢献のかたち

 ” 一人の人をほんとうに愛するとは すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである ” 

 心理学者のエーリッヒ・フロムの言葉です。

 

 日ごろ違和感を感じていること。 

 ・事情があって学校の保護者活動や地域活動・ボランティア活動などに参加しない

  ことに対し、社会に対し非協力的とレッテルを貼る。

 ・事情があっても断れず、無理して様々な活動に協力する。

 ・例え気持ちはなくても、評価のために行ったボランティア活動が評価される。

 ・身近にあるものより、外へ遠くへと気持ちを向けさせられる。

 ・たいして必要でないものを次々と消費させられる。

 ・経済を回すために、子育てや介護、自分の体調不良をおして仕事する。

 

 これが社会の目指すべきところなのか。

 心の居場所はどこなのか。

 エーリッヒの言葉の逆もまた然り。

 

 個を大切にすることと社会が豊かになることがつながるために。

 大切な人の心に寄り添えるように。

 愛し、命を吹き込んで世に送り出す、そんな仕事が出来るように。

 

 表立った行動ではなくても同じ志を持ち生活している人が沢山いるということを、各種団体に属する方々にご理解頂いた上で活動して頂きたい。

 個人や家庭を大切にしながら社会協力出来る環境作りが進めば、不要な対立関係を避け、心のこもった本当の意味での社会貢献が広がるのではと思います。

 

 自主的に各個人が助け合いの心を実行にうつせる世の中へ。

 

 人に大切にされれば人の事も大切に出来るようになる。

 

 小さなことですが、私はまず家庭を大切にする事から社会貢献を始めたいと思います。

・ 大人として ”恥ずかしい” と思うこと。

 2月に雪。もうすぐバレンタインデーですね。 

 初恋はいつ頃でしたか。

 きっと人それぞれだと思います。

 自分では思い出せないほど幼い頃だったかもしれません。

 大人になった今、好きな子の前でついカッコつけてしまう子供達の姿を微笑ましく感じます。

 

 日本の文化は恥の文化と言われています。

 現代、恥ずかしがらず考えを主張する事が、日本をグローバル化させるために大事という風潮です。

 

 恥を知ることが思い遣りにつながり、相手を尊重する行動につながる。

 そこから日本は世界に誇れる、尊敬され愛される文化や技術を産み出してきました。

 

 自分が子供の頃、人を思いやれる大人は素敵だなと思いました。

 反面、そうでない大人に対しては恥ずかしい大人だと感じ不信感をもったものです。

 そうして犯罪から身を守る感覚も育てられて来た気がします。

 

 恥を捨てるのと自分の殻を壊すことは別の事と考えると。

 羞恥心を持ちながら、自分の考えを相手に伝える方法はあるはずです。

 

 子供が恥ずかしいと感じる感性は、成長の過程でとても大事だと思います。

 大人の行動を子供は見ています。

 忙しいから。そういう時代じゃないから。

 大人の都合で、子供の中にせっかく芽生えた恥の心を摘み取らないでほしいと願っています。

 

 

 

 

 

・ カタツムリとヒトと男と女

 昨年の夏、カタツムリについて子供と一緒に調べてみました。

 道の真ん中をゆっくり進むカタツムリを子供が見つけ、家で飼いたいと連れ帰ったことに端を発します。

 何気なしに飼い始めたものの日ごと感情移入し、いつしかカタツムリの世界に引き込まれて行きました。

 

 一番驚いたのがオスメスがないという事。

 それでいて、ちゃんと卵を産み命を繋いでいるのです。

 

 男女関係なく、仕事も家事も育児も半分づつ。

 いつの日か人類が性差別問題を完璧に解決したとして。その先の遠い未来にはカタツムリのように進化しているかも知れません。  

 

 果たして…。人として。

 パワーが全てで、感情・個性は種の保存の観点からは無用のものなのか。 

 性差の無い世界はバラ色なのか無彩色なのか。

 

 カタツムリも実は遠い昔は性別があって、子育てはどっちの仕事だとか夫婦げんかしていたのかも知れませんね。

 

・ 風通しの良い社会に☆

 PTA・子供会・自治会。加入しているご家庭と、そうでないご家庭間で見えない壁のようなものを感じる事があります。

 最近では某大国が隣国との間に壁を作ると話題になっています。

 世の中には様々な差別という壁が人と人との間に絶えません。 

 

 子供の頃、ブロックで境界線を作った中で、お気に入りのオモチャを誰にも取られず安心して遊びに夢中になっていた時の事を思い出しました。

 遊びに満足し、ふと周りを見渡して一人ぼっちの自分に気付きます。そう感じた瞬間、自分の世界を守るために築いたはずの壁が、他の人達から自分を断絶する壁となっていたのです。

 

 人は、様々な壁を作り上げます。

 壁の中にいたかったはずが、壁の外に出たくなる事もあるでしょう。

 

 社会の価値観は、普遍的なものとそうでないものがあります。

 その価値観は、本当に次世代に引き継ぎたい価値観なのか、限られた人間の自己満足なのかを冷静に論じ合うことが、それぞれ違った個性を持つ人々をつなぐものと思います。

 壁を作りたがっていたのが、実は少数派だったという事があるかも知れませんね。

 

 壁を作るのは簡単でも、壊すのは大変なことが多いようです。

 壁を作るときには是非、窓と扉をつけておいて欲しいと思います。

 

・ 家庭料理と給食をつなぐもの

 今日は子供と筑前煮を作りました。

 うちでは煮物は人気なしと思っていたのですが、子供が急に煮物を作ってみたいと言い出し、それじゃあと久しぶりに作る事になったのです。

 

 子供と料理するときは、量を体感し簡単な料理は目分量で覚えて欲しいので、出来る限り同じフライパンを使っています。

 うちではティファールの中くらいのサイズで、少し深さがあるフライパンを使っています。軽く扱いやすく、炒め物から揚げ物やスープなど大抵の料理はこれ1つで済んで便利です。

 

 今回の筑前煮も同フライパン1つで作りました。

 まずは鶏肉。適当な大きさに切り、フライパンで両面に火を通します。

 人参・大根の皮は私がむき、銀杏切りは子供に任せます。

 子供用の包丁は、安全な分、意外と扱いにコツがいるようです。

 シイタケは四等分にします。

 鶏肉を炒めたフライパンに人参・大根を投入し、砂糖を大匙1ほどサラサラっと入れたら、鶏肉の油が全体に行き渡るようにザックリ混ぜ、日本酒をお猪口1杯分入れて、3分ほど炒め合わせます。

 その上に、シイタケと大きめに乱切りした木綿豆腐を入れます。 

 最後に白だしをグルッと1周、麺つゆを3周ほど回し入れ、ひたひたに水を入れたら落し蓋をして弱火でコトコト煮込みます。

 

 40分ほど経つと、あれ?何だかどこか懐かしい匂いが漂ってきました。

 

 お昼ご飯は、出来立てアツアツ筑前煮と混ぜご飯。

「いただきます。・・・あれ?この味は・・・」

「給食の煮物の味だ!!」

 子供と同時に叫んでしまいました。

 

 家庭料理を子供に教えようと我が家流で作ったつもりの煮物の味が、偶然にも給食の煮物の味とソックリでビックリしながらも、家庭料理と同じように心を込めて子供たちに給食をつくって下さる調理の方々の姿が目に浮かぶようで何だか温かい気持ちになった、そんな本日のお昼ご飯でした***