・ プログラミングの学習?
ドリルは三回やろう。
朝食を必ず食べよう。
読書をしよう。
運動しよう。
お友達と遊ぼう。
休み時間は外で遊ぼう。
早寝早起きしよう。
家庭でのコミュニケーションを大切にしよう。
地域と積極的に関りを持とう。
挨拶をしよう。
個性を尊重しよう。
自主学習をしよう。
自ら行動しよう。
勉強は基礎力を身につけよう。
勉強は応用力を身につけよう。
プレゼンテーション能力をアップしよう。
話し合いでアイディアを出そう。
グローバル化に向け英語が出来るようにしよう。
ボランティアをしよう。
etc…。
確かに全て子供の教育上良いことだとは思います。
しかし、良い事であっても気持ちがこもらない行動は誰にとっても苦痛です。
息つく暇もなく大量の教育おすすめプランを消化し続け、やがて苦も無く行動出来きるようになる頃には、心が失われ、ロボットのようになり、誰かのプログラムに沿って動く人間が出来上がる。
今、進めようとされているプログラミング学習とは、こちらの意味なのかと思ってしまいます。
自分は何をしたいのか。
自分は社会の中でどのように居場所を作って行きたいのか。
自分はどのような形で社会に受け入れられて行きたいのか。
大人からは一見無駄に見える行動の積み重ねで、子供は自分を知り、自分を生かす道を見出していきます。そして、その子のタイミングで目覚めた時、時間を超え、身のある知識を習得することが出来ます。
子供の内面を伸ばす時間を奪う事は、子供の将来を奪う事、それは国にとっても大きな損失につながるでしょう。
資源の少ない国にとって、人の能力は国防にも繋がる貴重な資源ともいえます。
気持ちがあってこそ人間は無限の能力を発揮する。
子供達の未来、国の未来、皆の未来のために。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
近視眼的な一律押しつけ型教育で、子供達の心の火を消さないように。
AI先生の登場で、教師の存在意義が問われる昨今。
人が出来る事とは。
自然の循環の中で、自然に湧き上がる心の声に耳を傾けてあげる事。
人が人らしくいられるために、本当の意味で、ゆとりのある生活を。
もうすぐ学校は春休みです。
今年こそは、宿題終わった?抜きで、花でも見に子供とふらっと出かけてみたいなと思います。